Profile ~自分史編~

大谷まどか プロフィール

対話で理想の未来をつくる 関わり方の専門家
レイディアント 代表 大谷まどか

✧ コミュニケーションアドバイザー(講師・ファシリテーター)
✧ 自力系婚活伴走コーチ
(ライフデザインコーチ)

まちづくり分野を扱うコンサルタントとして経験を積む中で、社会人にこそ関係構築やコミュニケーションの重要だと感じ、プロコーチの資格を取得。コミュニケーションの学びをきっかけに視野が広がり、働き方や生き方を変えようと決意。

2度の転職を経て、2015年に人間関係の相談が気軽にできる場所をつくる!と決意し、レイディアントを開業。

学びと実体験で検証した人間の個性を活かせる課題解決の独自メソッド「大人コミュ力」をベースに『コミュニケーションアドバイザー』と『ライフデザインコーチ』の二刀流で、人が輝く未来をつくる人材育成を行っている。

人生相談、コミュニケーション研修、対話の場づくりなど、対応範囲は個人・法人・分野を問わず幅広い。近年は、「ファシリテーションの普及」と、「結婚したい人が結婚できる社会づくり」に力を注いでいる。


【好きな言葉】人生愉しみ上手が得/愛と感謝/楽しい大人が社会を変える
【資格】GCS認定プロフェッショナルコーチ

大谷まどかってこんな人

第1章 10代・子ども時代

石川県で3姉妹の末っ子として誕生。幼児期は、早く小学生になりたい。小学生の時は早く中学生になりたい。と、少し前を行く大人の世界に憧れていました。

学校も勉強も嫌いなわけでもないけど、好きなわけでもない。熱中したのは部活動で、吹奏楽部にどっぷりな毎日でした。

進学校に進み、周りの秀才さには遠く及ばないことに気づいてからは諦めも早く、部活に青春をかけて音楽三昧の日々。3年の夏まで部活をやりきり、体育祭を終えてからようやく受験勉強をする気がわき、県外の大学へと進学しました。

「劇的ビフォーアフター」というTV番組が大好きで、建築家を志して進学したものの、建物の詳細よりも地域や社会を捉える方が楽しさを感じて建設コースを選択。まちづくり、地域づくりの分野へと沼っていきました。

スノボサークルと写真部を掛け持ちし、結婚式場と宅配ピザ&クレープ屋のバイトを掛け持ちし、THE大学生!な学生生活を謳歌して4年間の一人暮らしを満喫しました。

1987年     石川県小松市にて、3姉妹の末っ子として誕生。
1992~2005年田んぼが広がるのどかな田舎の公立で学生生活を送る。中・高の青春は吹奏楽部に注いだ。(Euph、Tb)
2005~2009年福井大学工学部に進学。建築建設工学科建設コースに在籍。地域計画に関心を持ち、地域・交通計画研究室にて、川本義海先生の下で学ぶ。

第2章 20代・社会人時代 ~たくさんの出会い・学び・チャレンジ~

地元石川県に戻って就職。社会に出て、自分の得意、関心、大切にしたい想いを探す旅が始まりました。仕事でもプライベートでも、たくさんの方と出会うなかで、コミュニケーションの壁にぶつかったときに「コーチング」と出会いました。

コーチングを学んでからは、悩む時間が減りました。若さゆえのとがり感には今思うとぞっとしますが、相手にも都合や想いがあることをようやくハラ落ちして、少しずつ大人になりました。

転職、創業、プロジェクトへの参加など、当時はがむしゃらに目の前にきたチャンスや好奇心だけで動いていました。おかげさまで、様々なコミュニティで経験値が上がりました。

20代の独身時代の経験は、私の一生ものの宝物です。

2009年~2013年石川県の建設コンサルタント会社「(株)計画情報研究所」に就職。行政とのまちづくり支援業務に従事。
2009年~2011年金沢まちづくり市民研究機構に所属(7期・8期・9期)し、川上光彦先生から「地域コミュニティ」について学ぶ。
2010年~2016年若い自営業者が集まって、やってみたいことにチャレンジするさんぴん塾に加入。好きな仕事で独立した人達と出会い、創業という選択肢が出てきた。
2010年~コミュニティカフェあひるの子にて、地域コミュニティの実践に携わり、鴨野幸雄先生から行政と市民の関わり方について学ぶ。
2013年10月人間関係で悩み、解決の糸口を探すなかでコーチングに出会う。すぐに受講し、銀座コーチングスクール認定コーチ取得。コーチ活動を開始する。
2013年~2014年事業支援コンサルタント会社に転職し、白山商工会の観光事業支援に従事。
2015年2月~やりたい仕事ができる場所がないなら作ろうと独立を決意。レイディアントを開業。
2015年~2017年北陸先端科学技術大学院大学に転職し、産学官連携業務に従事 。
2015年ごろかがこまで南加賀エリアの人脈が広がる。
2017年4月~あひるの子での市民協働の取り組みから、(一社)ハートキーパーの会を設立。理事・事務局長として運営を担う。
2017年9月妊娠を機に大学院大学を退職。
2017年10月銀座コーチングスクール認定プロフェッショナルコーチ取得

ご縁の連鎖でレイディアントは生まれました。出会いに感謝

第3章 30代・妻&ママ時代 ~育児も仕事もやりたい私の自分軸人生デザイン~

母になり大切なものが増えた
息子をおぶって登壇したことも
理解あるお客様のおかげでした

28歳で結婚、30才で第1子出産。切迫早産で安静を余儀なくされた寝たきりの日々は、動き回ってきた私にとっては苦行でした。何の役にも立てていないのではないかという不安感も感じました。

育児が始まってからも、子供たちとじっくり関わりたい気持ち、子供と過ごす時間だけでは気が狂いそうになる気持ち、社会とつながり働きたい気持ち、金銭的な不安感、何軸にものびる感情のシーソーをゆらゆらしながら、とにかく目の前の命ありきで向き合う日々でした。

子どもたちとべったり過ごしていると1日の終わりが永遠のように長く、幼児期を過ぎると育児していた数年が風のようにあっという間にも感じる不思議な感覚です。

田舎のフリーランスでパラレルキャリア。その上、育児しながら子連れで活動するようなロールモデルは見当たらなかったで、私は私!と割り切って、ワークとライフのバランスを模索し、自分の納得できる形に整えていきました。

子供と密に過ごせる時間は永遠ではないし、育児も人育ての学びの実践の連続。自分がやりたいと望んで歩んできたので、キャリアの後悔はありません。むしろ経験値は爆上がりです。

実家を含め家族の協力を得られたこと、ハートキーパーの会という安心して心情を話せる居場所があったこと、コロナ禍を経てオンライン化が進んだことのおかげで、制約がありながらも人とつながれたことが救いでした。

2児のママとなり、「私の幸せ」から「私たち家族の幸せ」へと広がり、さらには「子ども達が生きる未来」へと価値観の基準がシフトしました。そして、人間という生き物の生体と、生きづらさのリアルを知ることができました。

2018年~2019年長男の出産を機に育児優先営業にシフト。(株)シェヘラザードにて研修業の在宅ワークも経験。
2020年創業5周年を迎え、ようやく思い描いていたレイディアントが実現しました。
2020年     流産を経て、コロナ禍で次男を出産。育児サークルの運営に携わる。気になっていた産後ケアのバランスボールレッスンを受講。気力の前に体力が必要なことを知る。
2022年かさこ塾で、自分が本当にやりたくて得意なことや、今のライフスタイルでお客様を幸せにできる、自信をもって提供できる仕事について、考え直す。
2022年苦手な料理や家事の負担を軽減できるよう、すまーときっちんの時短レッスン、時間活用講座を受講。ママ・仕事・私のバランスについて考える。のちに講師主宰のママ向けのコミュニティ「PLUS TIME」がスタートし、サブリーダーとして運営に関わるようになる。
2023年次男が入園。白山市市民活動ボランティアセンターで週1出勤の専門員として勤務を開始。1人になれる時間が増え、やりたいけどやれなかったことに着手し、仲間や応援者の協力のおかげで夢をどんどん前進させている。
2024年能登半島地震をきっかけに一時的に、休日を含む週3勤務を経験。ワークライフバランスを再考した結果、週2出勤に拡充した。働き方のフェーズ移行に合わせて、PLUS TIMEは運営に関わるコアメンバーを卒業し、応援隊長になる。
2025年(現在)レイディアント創業&結婚10周年を迎える。
新たに、婚活支援事業をスタート。